ただ、そのホリエモンさんの真意はそれ前提でもちょっと違ってて。
【だからこそ、やれ
失敗しないようにばかりに目を向けてたって準備してたっていつまでも進めやしない
成功なんぞ山ほどの失敗の中からしか生まれないのだから】
といったことのような記憶があります。
そうです、私も。
お店を出すことにした後、お世話になった人にはもうそりゃ不安を口に出す失敗を恐れて悩みだの解決する方法ばっかり相談するの連続になってしまって*一応「ネットだけのつもりだったのに系」が頭にあっての悩みとは言え、事実そうなったので書いておきます*
そんな自分が協力者の一人の業者さんに言われたのが「失敗を最初から潰そうとするのではなくて失敗して騙されて大きくなっていくのがこの仕事」みたいな話。
確かに自分は安全に安全に、そればっかり考えてしまってた。
いや、そうでもなくって
絶対失敗したくない
とすら思ってたかもしれません。
それなりに理由はあるのですけど「目利きもろくにできないインチキ古物商だのぼったくりだの言われて終わるのだけは嫌だから(それによってやりたいことが少ししかできなかったなんて嫌だから)」せめてそれだけは避けたいという思いから、ではあるのですが
それでも事実、失敗の目は摘むべきだと云わんばかりに必死になってたところもあった。
もちろん確実に死ぬような失敗はわざわざする必要はないのですが(^^;
最初から何もかもうまくいかせる必要はないのだった
そもそも。私は「失敗したくない」これが目標じゃなくて
「なつかしいものを愛する人が幸せに満ち溢れるような品物をいっぱい提供できるように橋渡しがしたい」
なのでありまして。
なくなりようがない失敗にばっかり目を向けてたら、本当の目標に目を向ける時間が無くなっちゃう
目を向ける方向は、だとしたらおのずと決まる。
何よりも
「(たとえ失敗したって)色んな環境潜り抜けてここまで生き残った道具たち*がきっと守ってくれるから」
と、いうことばも
忘れないでおかなくっちゃ。
*おもちゃメインの業者さんからのおことばなので正確には「おもちゃたち」です*
本当にその通りかもしれない。
いろんなひとが、自分を疎ましく思い見捨ててきたかもしれない
(というよりも友達も少なくって独身でここまで来た分「見捨てられてきた」と思ってる部分もあったりして(^^;)
でも、そんな自分の元にも数々の「売りたい」「ほしい」と思ったこのこたちはやってきてくれて。
このこたちが自分を不幸にするためにやってきたなんてあり得ると思うのか?
そんなこと
思えるわけない(思っちゃいけない ではなくてほんとに「わけない」)。
そんなことを思うと、つくづく
まだオープンもできてない現在だけど「この仕事やってよかった」って、ほんとうに何とも言えない充足感を感じるのです。