物がいっぱいあっても人は幸せになれない、は誤りである

営業時間終わって帰ろうと思ってたのですが、うちの店の子とお話してるうちに
また、改めて、実感したこと
突然どうしても書いておきたくなり、お店に残っております。

自分は、この仕事をはじめてから
ほんとうに「それ」を毎度毎度実感させられます。


「この子たち」
自分の友達になってくれる
自分の親のようになってくれる
自分の恋人のように
自分のせんせいのように

これだけの役割を担ってくれる。

いろんな事を教えてくれる
奇跡とは 歴史とは 存在とは この世に存在する「縁」とは 
などなどいろんなことを。


「この子たち」に囲まれ

自分はこんなにも確かに幸せなのだ
物欲が満たされたとかそういうのとは全く別の、充足感・安心感・胸詰まる思い。


【物で満たされても人は幸せにはなれないのだ】

人は云う
自分も以前は、少しそう思っていた
でも、今は確かに思います

【単なる「モノ」】だと思っているからそれを集め続けても幸せになれないのであって
そうではないならば、きっと、人は物にいっぱい囲まれたとしても
人同士の間で孤独感を抱いても
幸せであれる
やせ我慢ではなく
物のとてつもない力や様々を実感すれば
【物がいっぱいでも満たされない】なんてとてもじゃないけど思えなくなる

世界の素晴らしさすら、「この子たち」を通して知ることもできるのです。


もちろん、自分がお店で扱っている扱いたいものだけじゃなく
なんでもそうなのだと思います。
例えば、身に着けるもの部屋の中にある購入品
周囲で自分を包み込む自然もそう。

人同士との接触が少なく寂しいな(人同士の間では)と思った時に
そばにいる大切な「仲間たち」が
誰もの力になって味方でいてくれて
寄り添ってくれていることを
忘れないでほしい。

そして、それが、誰かの大きな支えになる存在が、レトロ雑貨や古道具たちだったら
嬉しいことはないなあと
更に言えば
そんな存在だと、将来出逢うであろう「うちの子」たちを求めてお買い上げになる人に、強く実感してもらえればいいな
そんな風に、考えています。